SOCCER LIFE!

近藤淳(ベースはジュビロの西)、東海ユースに入団。
最初の週から、何かオファーが来ている。
フランスリーグのストラスブールからのものだった。
何の考えもナシにあっさりサインしてしまう。


1年目。
かろうじて、ベンチ入りはするものの試合出場に恵まれない。
しかも、プロになったばかりで何をすればいいのやら…。
チームも崩壊状態で、リーグを最下位で終了し降格の憂き目に遭う。
結局、能力を伸ばす事もできないまま、チームから放出を言い渡される。
結局、このチームで手に入れたのは、アーンという友人だけだった。


2年目。
シーズン開始直前にル・マンへ移籍する。
ここでは、個人能力の鍛錬にとにかく時間を注いだ。
リーグ開始時には、ベンチにすら入れない状況が続く。
ストラスブールの方が、状況は良かったのではないかと思えるほどだ。
チームも下位に低迷。
そんな時、カーラと言うイタリア人女性と出会う。
いい所を見せたいと頑張っていたお陰か、リーグ後半戦から出場機会が増えた。
しかし、そのまま下位のままリーグ終了。


3年目。
ル・マンとは2年契約を結んでいたので、もう1年このチームで経験を積むことにする。
試合には、コンスタントに出場が出来るようになってきた。
パスの能力をかなり高めてきた事が効を奏したようだ。
だが、試合には勝てない。
チーム全体の能力が低い為、勝利を収める事も容易ではなかった。
一方、カーラとの交際は順調に進む。
そして、プロポーズを申し込んだ。
3週後、返ってきた返事はNOだった…。
失意のままに、リーグ終了。
やはり目立った活躍は出来なかった。


4年目。
ル・マンとの契約を延長して残留。
しかし、その一方で代理人と次の移籍先を模索していた。
試合には相変わらずコンスタントに出場し、監督及び選手との信頼関係も中々のものとなった。
少しずつだが評価も上がり、年俸もより高額を呈示するクラブが現れてきた。
それが、プレミアリーグのレスターであった。
フランス以外でのプレーは、近藤にとっての念願でもあった。
そのオファーを二つ返事で承諾する。
その一方、プライベートでは新たな女性との出会いがあった。
ナイジェリア人のジーニである。
順調に交際をして、二人は結婚した。
そして、レスターへと移籍をしたのである。
だが、レスターではベンチに入ることすら出来なかった。
プレミアでのプレーは夢と終わったのだ。


5年目。
出場機会を求め、ブンデスリーガのフランクフルトへ移籍する。
攻撃的MFとして試合に常に出場するようになっていた。
しかし、その一方で各能力の限界も訪れていた…。
下位チームのレギュラーとして、それなりの結果を残して終わった。